弱者ゆえ涙ながれるONEPIECE:ファンは信者じゃない「ONE PIECE」

冒頭の句を詠んだのはもう十年近く前ですが、その時たまたま交流のあった人に
「そうか、私は弱者じゃないからONE PIECE好きじゃないんだ!」
と、言われて驚いたのを覚えております。

私は弱者じゃない。

こう言い切れる人もいるんだ…

わたしは、
ひとというのは弱い存在で
しばしば権力や暴力に屈し
心を慄かせるものだ
と、思っていました。

力に屈服させられた者はしばしば主人公・ルフィに雄弁です。
なぜ諦めるしかないかを言葉を尽くして語ります。
そんな時、ルフィは無言です。表情も変えず相手を見つめます。

諦めるしかないそれでも!
助けて欲しい!
心の奥の本音にルフィは応じます。
ルフィの戦いとは「仲間を守る」
これが原点です。

自分が弱者ではないという人は、挫折したことのない幸運な人。
あるいはまだ挫折を知らない若い人。

そして、
自分が強者であると自称するのは、傲慢な人です。
その裏に、他人を踏み台にしようと虐げようと何とも感じない心がうかがえるからです。

ルフィは
「俺は強い」
と言ったことはない!

それどころか
「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!」
と作中で言っています。

ルフィが仲間を増やすたび、
敵も強大になりました。
多くを守るには、より強くならなければならない。

それだけです。

そして、「ONE PIECE」は長い物語ですから、
心のツボを押されるエピソードが多々あるのです。

私の場合は「ヒルルクの桜」
トナカイ人間チョッパーが仲間になるエピソードです。

「人はいつ死ぬと思う・・?
心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う
不治の病に侵された時・・・違う
猛毒のキノコのスープを飲んだ時・・・違う!!
・・・人に忘れられた時さ・・・!!」

私は忘れられた人間です。
職場の事故で障害を負って退職しました。
その後、当時の関係者に連絡を取る必要があって電話をしたら

「ごめんなさい、覚えてないです」

ああ、私にとっては人生を変えるようなことだったのに他人は忘れることができるんだ。

ヒルルクの危機感そして死。
その死を超える言葉は響きました。

生きている証を刻むように、私は川柳を詠むのかもしれません。

「ONE PIECE」にファンが多いのは、
何かしらのエピソードが、ひとのこころの傷に沁みるからです。
『泣きツボを押される』と言えます。
そこに宗教性はありません。ルフィは教祖でも神でもありません。

こんなことを私が述べるのは、
「ONE PIECEは狂信的なファンが多い」
「宗教みたいで気持ち悪い」
というアンチの意見があるからです。

いや、それは単にあなたにワンピを勧めた人の言動が下手だっただけでは…
作品に触れる前に「絶対泣くから!」と言われたり、
「えー!ONE PIECE読んでないの?!」と人間じゃないような言われ方をしたり、
それではまず作品を好きにはなれませんよ。

第一、最初から読まないとストーリーはわからないのに、
最新号から読んでしまって嫌いになる人が多いんです。
「登場人物が多すぎ!話がわからん!」
そりゃそうだ。

第一話から読んでください。
ルフィは超人ではありません。
ただのこどもです。
「仲間を大切にするということ」を大人の行動に教えられた、
ちっぽけな存在です。

そして、仲間はひとりひとり。
簡単に絆が結ばれたりはしません。
背負うものがあって夢があって。
それが同じ方向を向くから、
「仲間」なんです、なれ合いもありません。

どうか先入観を捨てて、読んでください。
「ONE PIECE」が日本のマンガの歴史に残る名作であることは間違いないのですから。

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入り江わに について

オタクじゃ老害、川柳じゃ若手!オタクが互いをお宅と呼んでいた頃からのマンガアニメオタク。兼、川柳人。
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