誰も皆この片隅に生きている:戦争という日常と原子爆弾「この世界の片隅に」

私が「この世界の片隅に」というマンガを読んだのはずいぶん昔です。
こうの史代の「夕凪の街 桜の国」という一冊のマンガに出会って、
その作者のマンガだというので買いました。

昔から戦争や原爆の話に興味がありました。
今は、被爆三世の親です。

歴史は私に、私の子らにつながっている。

「この世界の片隅に」はアニメ映画になり、超ロングランでヒットしました。
ドラマ化もされました。

庶民は、戦争の中でも生きていた。暮らしていた。
それを全て殴りつけるように消したのが原爆です。
ヒロシマの博物館もナガサキの博物館も行きました。
衝撃しかありませんでした。

つい最近Twitterで見た話です。
元ツイがわからなくなりまして、概略ですが。

ツイ主はアメリカで授業を受けている日本人。
原爆のことを学んだ。
意見を言うつもりはなかった。
「原子爆弾投下は戦争を終わらせた」
手元の資料集に原爆で死んだ兵士の手紙の写真があった。
母親宛の日本語の手紙。
「他の人と同じです」と答えるつもりだったツイ主は、
指名されてわからないと言った。
「この手紙を私だけが読むことができる。
これを読んで原爆を肯定することができない。」
彼女が泣いて、クラスメイトが意見をくつがえしはじめたという。
もっと深く原爆について考えてみようと。

ツイへのリプライだったと思いますが、

資料集を編纂した人は、
ほとんどのアメリカ人は手紙に気づかないだろうけど
誰かその意味に気づく人がいると
手紙の写真を載せたのではないだろうか。

そう。

世界にとっての原爆と
日本にとっての原爆はしばしば意味が違います。

少し長いけれど、詩を紹介します。

  ヒロシマ連祷 石川逸子

やせて小さくなった母さん
あなたの拝む
墓の中に わたしの骨はない
海の見える
墓のなかに わたしの骨はない
わたしに手があれば
手紙が書けるのに
私に口があれば
電話できるのに

モシモシモシモシ
コチラ フロリダデス
ディックノイエデス

こわれたトースター さびた自転車
いらなくなった兵隊靴
かびたザックにまじって
転がっている わたし
星のない夜

ヒロシマの壕からひそかに掘り出され
せいいっぱいみがかれ
土産物屋に並んで
水兵ディックに買われていった わたし

ヘーイ、マリア
ジャップノサレコウベダ
ゲンバクデヤッタンダ

しばらくは棚に飾られ
やがて物置に捨てられた
フロリダの夏がすぎ
また夏がすぎ 夏がすぎ
ディックとマリアは今は孫もいる老夫婦

アメリカに灼かれ
そのアメリカに転がっている
マリアとおないどしだった
されこうべの わたし

八十過ぎて やせて小さくなった母さん
あなたの拝む
墓のなかに わたしの骨はない

日本は唯一の被爆国。

永遠に唯一でなければなりません。

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入り江わに について

オタクじゃ老害、川柳じゃ若手!オタクが互いをお宅と呼んでいた頃からのマンガアニメオタク。兼、川柳人。
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